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   深度 、急速潜行~
[ルエリ6書店横]ゲームの都合と世界の都合
Reckless 様経由で。コレ
 これ自体についてはとやかく云いません。RO に関する言及はただの間違いだということは我々には分かり切ったことですが、それについて云うのももう飽きた。
 んが、まぁ、予定の順序を変更して、本日「ゲームの都合と世界の都合」について書いときます。予定では「生活系 RPG」て題目にする予定だったんですが。

 ええど、オレが遊んだゲームは今のところマビと RO だけなんですが、「ゲームの都合と世界の都合」の峻別が甘いという点では両者は共通してます。
 先日 Reckless 様で採り上げられていた「巨大白オオカミクエスト」ですが、オレのところにも降ってきています。このクエストに関して「ゲームの都合」の次元から語るなら、オレの意見は Reckless 様のそれと大差ないです。ただ、オレは、「サブクエストとしてならば、取り合いだろうと何だろうと一切何の問題もない」と思いますが。
 しかし、「世界の都合」の次元からみると、問題は別の場所にあります。
 これが、「ティルコネイルじゃ巨大白狼を討伐したヤツだけが一人前と看做される掟なので、たまにしか出現しないヤツをへち倒してこい! それをなしとげたヤツにのみ次のクエストを与えよう」ってなモノであるならば、これは「世界の都合」から見て「全く問題ありません」

 取り合いが存在し得る以上、取り合いの存在を、その世界の内側から否定することはできません。我々 TRPG のゲームマスターは常にこの疑問と戦い、この疑問がプレイヤーに感じられないようなシナリオの導入を日々四苦八苦しながらひねりだしています。その世界に冒険者が PC たちしかいないのであれば、そのダンジョンが手付かずであるのは当然でしょう。しかし、もうひとグループあれば、突入したダンジョンは半分の確率で、「すでに別のグループによって踏破済み」であるべきです。では、なぜ PC たちは踏破済みのダンジョンにぶち当たらずに済むのか? まして、その世界に数千人の冒険者がいる世界だったら?

 TRPG の話をします。数千人の冒険者がいる MMORPG には及ばないにせよ、他のワールドセッティングに比べて明らかに冒険者の数が多そうなフォーゴットゥンレルムを舞台にシナリオを書くときにはこいつは大変な難題です。アンダーマウンテンについては、ハラスターだっけ? あの魔道師ががんばって維持してるからいつも新鮮なんだ、と云い張ることはできるでしょうが、その場合、PC たちが前回踏破した場所すら次回の突入時にはまったく別のダンジョンになってしまっているはずなわけで、これはこれで大変です。逆に、誰も整備してなさそうなミス・ドラナーなんかでは、入口からかなりの程度の深さまではとっくに探索済みになって何もない、あるいは実入りのないワンダリングモンスターしか出ない状態になってると考えなければならないでしょう。

 マビの話題に戻ります。世界の都合から発するクエストが「巨大な白狼が家畜に危害を加えて困るから退治してくれ」であるならば、そのクエストが降ってきてから最初に巨大白狼が倒された時点で「ヤツは倒された。キミには報酬は与えられない。キミのクエストは失敗に終わった」となり、次のクエストへのフラグは立つべきでしょう。また現われるのであれば、次に現われたときに、前回失敗した PC のみに再度クエストが降ってくる、ってのがあるべき姿じゃないでしょうか。

 NPC はいろいろなクエストをプレイヤーに寄越します。ナオはたぶんたくさん存在し、プレイヤーひとりにつきひとりずつ存在しているので、ナオが投げてくるクエストはまぁいいでしょう。ナオが村長を経由して投げてくるクエストもいいでしょう。ヒーラーの家には大量の作曲用スクロールが埋蔵されていて、毎日ものすごい数が再発見されるのでしょう。トレボーは見所のあるヤツには次から次へとダンジョンにもぐってみろ、とクエストを投げつけているのでしょう。勤勉でけっこうなことだ。
 ですが、ダンバートンの近郊に現われて周囲に脅威を与えているクマはいったい何頭いるんだ? クマが山ほどいるのであれば、そのクマを処理せよというクエストはクマを絶滅させてはじめて完遂になるべきではないのか? クマを倒したヤツ全員に報酬を出すのであれば、そのクエストの名目は別のものであるべきではないのか? クマを倒したという証拠を持ち帰らずにお前は何故信じるのだ? 「世界の都合」に、それはあまりに合致していなさすぎではないのか?
 アイラはいったい何人にスチュアートの秘密を探らせ、何人から同じ回答を得ているのだ? それだけ得てまだ次のスパイを雇うのか? それは「世界の都合」に合致するのか?
 オレはダンバートンでバイトの日々を送ってます。ヒーラーが大量の羊毛を要求し、衣料品屋た大量の服を要し、雑貨屋が大量の組み紐を欲しがり、聖堂が大量の卵や芋やリンゴを必要とするのは理解できます。しかし、毎日昼夜を問わず商売を続けている武器屋の女主人が毎日毎日無数のネックレスをどこかに落とし、ヒーラーは苦い人参を大量にどこかで落とし、毎日毎日本屋の娘っ子は大量の詩集を聖堂に届け、雑貨屋の主人は毎日毎日大量のキューブパズルを娘にプレゼントする。これは何だ? これはどういう「世界の都合」なんだ?

 発生するクエストの数々は、過去のオフラインコンピュータ RPG(以下 cRPG)に存在し、違和感なく受け入れ得たモノでした。オフライン cRPG には取り合いは基本的に存在しないか、あるいはシナリオの都合としてのみ存在します。このシナリオの都合はそれはそれで「世界の都合」に対する多少の疑問を生じさせ得るものではありましたが。
 cRPG で違和感がなかったのは、その世界に冒険者は PC しか存在しなかったからでした。さらわれた女の子が無事なはずがない、という命題はエロゲーによって提示されずにはおれませんでしたが、女の子をさらっていった怪物が無事なはずがない、という命題には、cRPG は触れずに来ることができました。PC(たち)が常に勇者であり、他に勇者が存在しないという設定を作ることにより、それが可能であったのです。誰かが先を越すことがないということが保証されていたし、だからこそ、逆に PC たちは「それをやらなければならな」かったのです。
 しかし、無数の冒険者が存在する MMORPG においては、自分がやらずとも誰かがやってくれてしまうことが可能です。「ゲームの都合」においてはそれは許容できないことであっても、「世界の都合」の次元で、それは可能なはずなのです。ひとりしかドラゴンを倒す勇者になれないということは、逆に云えば、それ以外の数千人は「ドラゴンを倒さなくてもいい」ということでもあるはずなのです。
 マビノギは、一面においてこれを達成しました。各地の封印石を破壊することができるのは、チャンネルごとにひとりだけです。そのかわり、他の数千人は、各地の封印石を「壊さなくてもいい」のです。
 ゲームの都合が存在する以上、世界の都合だけを常に優先することはできませんし、また、常にするべきでもないでしょう。しかし、その違和感を感じさせない工夫はなされるべきなのじゃないでしょうか。「クマが暴れて困っているから倒して欲しい」というクエストにおいては、「目の前でクマ死んでましたよ?」という報告に対して、報酬は与えないにせよ、少なくともクエストが終了したという主張に対して否と云える「世界の都合」からの理由付けがありません。「クマを殺してみせろ」というクエストであれば、「でも倒したのはお前じゃない。だからお前のクエストは終わってない」と云うのは「世界の都合」からして当然のことです。どうして、そこで、「世界の都合」で違和感を感じさせない云い方をしないのでしょうか? 上述したように、一面においてマビのクエストは「世界の都合」を感じさせることに成功しているにも関わらず、他面において、ちょっとクエストの文言を書き換えるだけですむのに「世界の都合」からの違和感を感じさせる書き方をしてしまっており、萎えます。

 TRPG のシナリオを書くときに、オレが最も苦慮する部分のひとつは、「世界の都合」に対する違和感をいかに与えずに、あるいは最小限に抑えるか、という部分です。(まぁ、できてるかどうかは何とも云えませんが。また、最近のサードにおいては、多少大目に見てくれ、と先に云ってしまってる部分があるのでアレですが)
 ロールプレイをしろ、と、プレイヤーに云うのであれば、マスターが「ゲームの都合」を「世界の都合」に優先させてしまっている部分を表に出してはならないからです。そこに「ゲームの都合」が「世界の都合」よりも色濃く表現されてしまっているのであれば、プレイヤーは、その世界の住人としてロールプレイをする気になれるでしょうか?
 MMORPG に関しては以下のように云えるでしょう。ゲームデザイナーが、「ゲームの都合」を「世界の都合」に優先させていることが見えすぎてしまうのならば、プレイヤーが「ゲーマーとしてのプレイ」を「キャラクターとしてのロールプレイ」に優先させてしまうことをどうして責められましょうか?

 現実には、また現実を下敷きにデザインされた多くのゲームデザインにおいて冒険者は少数者です。常に少数者です。そして、そうでなければ成り立たない多くのシナリオやクエストの導入が過去に考え出され、多くの cRPG で使われ、モディファイされてきました。
 しかし、MMORPG の現実においては、冒険者は多数者です。常に多数者です。多数者でなくなってしまえば経営が成り立ちません。
 その世界における「世界の都合」はいったいどうやって演出されるべきなのか?
 オレにはわかりません。
 むしろ、RO ばりにクエストもシナリオも限りなく削って、「無数の冒険者がいて無数のモンスターが即湧きして、時間湧きのボスは日々廃人に狩られている」状態のほうが「その内部で自己矛盾を来たさない違和感のない世界」を感じられます。
 冒険者が多数派という、現実には有り得ない世界を作り、そこに現実の現実感を持ち込もうとして「オオカミが暴れて困っている」などというクエストを投げ込むことには、猛烈な違和感を感じます。そういうクエストなら、封印石ばりに、オオカミが倒された時点でそのクエストは失敗終了すべきです。全員にやらせたいなら、「オオカミを倒して一人前になれ」というクエストにすべきです。

 冒頭でリンクした先は大航海時代オンラインに関する言及でした。
 大航海時代は貿易により各地の品物の希少度が変わり相場が変動するゲームでした。
 オンラインでも、もちろんそうですよね?
 大量のプレイヤーが大量に船を作れば森林は切り開かれ、いつかは船を生産する資源がなくなりますよね?
 船主は権力者をだまくらかして資金を調達するわけですが、その結果権力者たちの資金は目減りしますよね? その結果はどう反映されるんでしょうか。
 船に大砲を積めば鉱山が掘られていつかは鉄が希少になりますよね?
 大航海時代は世界を変えた時代でした。
 変わりゆく時代を変わりゆく、変化が現在進行形であるその瞬間だけにスポットを当てて長期にわたりプレイし続け得る環境をいかに提示し得るのか、興味深いです。

 ま、大航海時代はやってないので、これについては深入りしないアレで。
2005/03/30 (Wed)
050329 * Top * 050330
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