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   深度 、急速潜行~
▼ええい、ついでだ。
 もうひとつ、衝撃的だったのは、世の中の人は「テキストばっかのサイトは見る気にならん」のだそうだという恐ろしい議論でありました。
 有り得ん。
 オレがサイトを評価するときに、テキスト量(もちろん質もだけど)以上に重視するものなんて何もないぞ。
 デザイン。うん、そりゃいいにこしたことはないですな。
 絵や写真。うん。そりゃ欲しいさ。オレが使わないのは単にそれらを準備する能力がないからに過ぎない。
 でも、だからといってテキストを削るという選択肢は、それはないっしょ。
 わかんねぇなぁ。
 あ、うちのテキストの質や量がどうこうという議論はこのさいナシの方向性でひとつシクヨロ。

▼あのですね。
 仕事の愚痴ですが。
 サイト作るとしてだ。個人だろうと法人だろうと、その方法は唯一だと思うんですがどうですか。
「まず作る。そして更新する」
 ホームページの企画書を作るとか意味わかんねぇよ! そんなの、とりあえず作ってみたモックアップの HTML そのものが企画書でしょうが。
 それとも違うんだろうか。オレが間違ってるんだろうか。
 っつーか、何であれ作るときに、オレは「まず作る」以外のやり方を知らないのでございます。ウウム。
 作る手間なんて、何もモノがない段階で議論する手間に比べれば誤差みたいなもんじゃんよ。
 何かしら作りはじめてからは議論は必要でしょうけどね、もちろん。複数人で作るモノならば。
 で、ろくに議論が行われないと最初のモックアップが何年も生き続けたりもするわけですが、だんだん議論がずれてきたのでこのへんで終わり。

▼ヘンな夢を見ました。
 どっかのホテルで学会かなんかに参加するらしいんだけど、何故か「洋装に二本差し」
 ……意味がわからん……。
 で、夢ながらに不思議に思った。一刀を差すのはだいたい想像できる。でも二本差しってどういう構造になってるんじゃろう?
 まぁ、洋装の時点でおかしいってか本来のやり方なわけがないわけですが、夢の中でそれを気にしてるシーンでは都合よく帯だったりしまして、結局夢のなかでどう差してたかはいまいちはっきりしないのですが、気になって調べてみたー。
 参考 1:実際に試してみた居合い使いの人のテキスト
 ちょっと想像すると小刀と大刀の柄の位置が干渉して抜きづらいんじゃまいかと思いましたが、案外問題なく抜ける模様。
 参考 2:こちらも居合い使いの方のテキスト
 「実際に小刀を差し、大刀を差してみますとこれがまったくうまくできないものです」ともあり、なかなか難しい模様。
 いやしかし、現代においては、実際に真剣を扱ってらっしゃる方々でも案外二本差しはしないものなんですなぁ。前者は主として大刀の取り回しを試したようですが、どちらかというと抜刀より納刀のほうで戸惑いがなくもなかったように見受けられます。後者は小刀の納刀がなかなか難しそうという話。なるほど。
 ナンセンスな夢が発端で、ちょっと勉強になったぜ。
 ……もしかして、日本刀ファンタジーとかわかってる人々にとっては全然常識的な知識なのか、こういうのって?
2007/04/02 (Mon)
■ Comment
 居合をやっている連中が二本差しにしないっていうのは、空手みたいに画一的なスポーツ化への流れに近いものがあるんじゃないかと感じることがある。
 曰く、古流武術が現代まで正しく伝えられることがないといわれるのには、殺し合いを実際に行うことが前提になっていないとか、 そういうことだけではない。それは現代人の生活環境の移り変わりにある。
 日本人は、江戸時代のころまで遡るとなんば歩きをしていたという。いわゆる同体同足の歩き方で、現代のように手足を交互にだして歩いていなかった。日常生活のなかでも礼節を重んじられ(士分だけかもしれないが)正座などの形式があり、それがあたりまえの生活だった。武術というのは、そういう生活環境のなかで生き残るため生まれてきたので、自然とそういう生き方に沿う形で発展してきている。
 しかし、明治以降歩き方から畳の上以外で寝食をするなど、日本人の生活そのものが変わってきてしまっている。そのような変化は、体型、生活様式という見た目の変化から、思考、文化など有形無形の変化までと多岐にわたっている。つまり、今の日本人は、明治以前の日本人とはまったく別の人種であるといってしまてもいいほどの変化がある。それは、古事記以前の日本人とそれ以降の日本人が別物であるのと同じくらいの違いだろう。
 そうした変化を得てきている日本人が、素直に過去の武術を習得しえるわけがない。その結果が、日常生活に武術を持ち込むことができないという形にもなって、あらわれているのではないかとも思える。
 よって、型を演じるだけになっているような居合では、二本差しなど考えることもないんじゃないかね。

 ちなみに、オレが前々から気になっているのは、納刀云々よりも小刀を左手で抜くという描写が、時代活劇などにあることだ。あれって、どうやって抜いているのだろうな? かなり難しいと思うのだが。

 あと、日本刀ファンタジー? 多分常識にはなってないと思うぞ。おそらく刀の銘とか、各部の名称とか、刀についてはそれなりに知識蓄えているだろうがな。刀のとりまわしというか、それを脇に置いた状況(生活)には結構無頓着なんじゃないかなぁ。と、思う。





 それにしてもだ。
 オレ、こんなテキストどっかで打たなかったけか? なんか打ちながらデジャブに見舞われているのだが。
2007/04/03(Tue) 17:19 * URL * matt #EBUSheBA[編集]
 うーん、スポーツ化したものと普通に考えられるのは剣道のほうだよなぁと思うわけで。逆説的だが、殺し合いを実際に行うことが前提ならば、いまどき長い刃物振り回すってのは実戦的では有り得ないべさ? となると、現代人の生活環境で実戦を行うことを目指すならもっと小さな刃物なり、平時は武器にならないものを武器として使いこなす方向性を目指すなり、そういう方に行くべきなんじゃないかと。

 現代の生活、現代の実戦とは乖離しているからこそ、「型」をさらうことによって後代へ伝承してゆく(以外の方法で伝えようがない)武術というのが古流の類だと思ってるわけで。
 「素直に習得しえるわけがない」ってのはまったく同感で、だからこそ「型」のような手段で伝えていってるんだろうと思うわけですよ。

 まぁでも、実際に二本差しの文化が居合いの世界とかにも伝わってないらしいという現状を鑑みるに、matt の見方が正しいのかもなぁ。

 しかし、云われてみれば確かに「小刀を左手で抜く」というのは想像しにくいものではあるな。抜くときにひねってるとか?

 matt が他で打ったかどうかは思い当たらないけど、最後のほうに書かれてるようなコトについてはわしは以前に書いたことがあるような気もする。刀じゃないんだけど。つまり、銃火器の取り回しに関する話題で、銃の銘(メーカーとか型番とかカタログスペック)とか各部の名称とかについてはそれなりに知識ある人は多いだろうっていうか、そういう知識の並んでる本はいくらでもあるんだけど、取り回しというか、それを脇に置いた状況(生活)についてはなかなかいい資料がみつけられないものだなぁ、みたいな。
2007/04/03(Tue) 23:02 * URL * DRR #/7QgdNBM[編集]
 居合ってのはさぁ、巻藁切ってるイメージあるけど、実際は型を100%演じられるかどうかというのを問われるスポーツみたなもの。空手にある、型を演じるだけの種目に近いものがある。巻藁切るとかいうのは、ただの見世物に近い。その辺は、おぬしが張ったリンク先にちらほらと書いてもある。
 まぁ、居合やってるやつってのは、実戦がどうこうというより、型をなぞることにのみ意識がいってしまているところが多分にある。

 あと、銃火器の資料なら読み物(小説含む)がいいかもしらん。テッド荒井とか、実戦を経験してきている奴の本は結構おもろい。
2007/04/04(Wed) 14:43 * URL * matt #EBUSheBA[編集]
 あーいや、居合いの型がどういうものかはわかっとるつもりですが、その「型」の中身は二本差しの時代から受け継がれたものであろうなぁと。であれば、その型は表面上だけであっても昔の流儀を受け継いでいるはずなんじゃないかなぁ、とそういう期待でござるよ。ニンニン。

 読み物の難しいところは、けっこうな頻度でアレげなものがあることだと思うにゃー。そういうのを見分けるには結局それなりの基礎知識が必要なのかなぁと。
2007/04/04(Wed) 21:39 * URL * DRR #/7QgdNBM[編集]
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