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   深度 、急速潜行~
▼その日、ぼくはパン屋にいた。
 夜の一定の時間を過ぎるとそのパン屋ではタイムサービスがはじまる。ほとんど全てのパンが、その時間から閉店までは 100 円均一になるのだ。店内で食べることもできる店なので、時間と気分によっては、ひとつ 100 円のパンを数個買って、こちらはタイムサービスでも値段の変わらない紅茶を一杯注文して、店内で読書を楽しみながら食事をすることもあるのだが、その日は食事も済んでいたので、ぼくは翌日の朝食に食べるつもりのパンを選んでトレーに乗せて、レジの前に並んだところだった。
 なんだかわめいている男性客がいた。おじさん、と呼ぶのが妥当な年齢だろう。若くはないが老いているというほどではない。その男性は、ひとパック 200 円均一のサンドイッチを数個、レジに積み上げて、それを買おうとしているようなのだが、何やら店員に少々普通ではない要求をしているようで、それに対する店員の対応がいまいち要領を得ないことに苛立っているらしく、何かわめくように主張しているのだった。普通ではない、といっても、妙な、ということではない。単に品物を置いて金を払って品物を受け取って出てくるだけ、という、黙っていてもできる買い物よりは少しだけ面倒なことをしようとしているようで、後でわかったことだが、その男性は店内でそれを食べるつもりだったようだ。それで、飲み物の注文なり何なりでうまく希望を伝えることができなかったか、あるいは店員がその意図を理解することができなかったということのようである。ぼくはそう長くそれを見ていたわけでもないし、正直、その男性客の云っていることは、少なくとも途中からその後ろに並んだだけのぼくには、やはり理解することはできなかったのだが。
 本人が言葉のはしばしで、自分が酔っ払っているということを語っていたから、要するに酔ってろれつが回らず、話もあまり筋が通ってるとはいえない状態だったのではないかと思う。何やら危険な人物、あるいは、「わけのわからないことをぶつぶつとつぶやいてはときおり誰にともなく、突っかかるような、あるいは同意を求めるような妙な大声で声をかける」ような、正直なところ対応に困る類の人物では、少なくとも、なかったようだ。店員は若い女性ばかりだったが、いずれも笑っていた。恐らく、しょうがないなぁ、酔っ払いは……というような、そういう笑いだったのだろう。
 ぼくも、とくに急いでいたわけではなかったし、レジひとつをその男性が占領していて、店員が三人いるのならひとりぐらい別のレジに回ってくれれば有り難いなぁ、とは思いつつも、べつに不満というほどの不満を覚えることもなく、トレーを持ってぼーっと突っ立ってその光景を眺めていた。
「まったく。ばかッ! しょうがねぇなぁ、若いコは……」
 みたいなことを男がわめいていた。細かい部分は覚えていない。ただ、「ばかッ!」と、一音節の単語みたいな勢いで、しかし罵倒というよりは単に酔って何かわめいている、という程度の悪意のなさで叫んでいたその言葉だけが印象的だった。まぁ、この表現ではいまいちよくわからないかもしれないが、そういう酔っ払いを、たいていの人が見たことがあるのではないか。
「ばかっ! 後ろがつかえてるじゃねぇか」
 男性はこちらをちらちらと振り返ったりしながら、わめいた。
「ったく……」
 そして、不意にこちらを振り向いて、ぼくに向かって、同意を求めるようにこう叫んだのだった。
「な! 姉さん!」
「待てい!!」

 ……昔みたいなロン毛ってわけでもないのに……スーツにネクタイという普通の社会人男子のカッコしてるのに……。
 どないなっとるんやー!!
2006/06/06 (Tue)
060605 * Top * 060607
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