深度 、急速潜行~
▼The Sign 完遂~。
 持ちキャラで Sign を使いたいヤツはおらず、どこかで(どこだったかなぁ)「The Sign はストーリーも見るに値する」的な感想を見て、それでそっち目当てではじめたわけですが、終わってみて、まぁ、甲斐はあったかな、という感触で。
 いやまぁ、序盤はクソダルいですが! 話に直接関係のないモノをアレ持って来いコレ持って来いって、そういうのそろそろヤメにしようぜ? 同じコトやらせるんであれ、「実はキミに持ってきてもらったコレはこのような目的すなわちキミのクエスト遂行に使われるんだよ」という話にしとけばずいぶん気分的には納得しやすいだろうにさぁ……。「このクソつまらん雑用に耐えられる者にしかこの先へ進む資格はない」みたいなのは正直ゲッソリだ。いや、そういうのはそういうのでアリだとは思いますが、この The Sign の話には向かんのではないかなぁというか。
 で、後半。だいたいサンゴ 365 コより後ぐらいの部分に関しては上々というか、非常に興味深い物語でありました。
 以下ネタバレのため水面下に。ROer で未 Sign の人はたぶん見ないが吉。非 ROer の人にはたぶんわからん話題ですな。



▼▼▼ここから水面下▼▼▼
▼▼▼ネタバレ注意▼▼▼

 云うまでもないことですが、このルーンミドガツの世界で我々冒険者は日々死んだり復活したりしております。考えてみれば、というか今さら考えるまでもなく、これは相当におかしなことではあります。
 死者がイグ葉なりリザなりで復活することには問題はありません。これらについては、そういうパワーが普通に存在する世界であると納得することは容易です。が、死んだ PC が「最後にセーブした地点に戻る」ことが可能なのはそれよりも異様さが一段階上です。
 われわれのリアルワールドでは死者は復活しないことになってますが、たんに心臓が止まっていたというだけの「死」であればそこから復帰することは珍しくありません。しかし、それは死者ではない誰かが死体に対して適切な処置を行うことが前提です。
 TRPG において死者を復活させることは一般にさほど難しいことではありません。むろん、容易でもないことが多いのですが、少なくとも、「概ね完全な死体」が存在すればそれを復活させる魔法は、ファンタジー RPG においては、まぁそのコストや難度は千差万別にせよ、ふつうに存在すると云ってよろしいでしょう。より高いコスト、あるいはより高い難度を負うことで、死体が著しく破損していたり、手元になかったり、そもそも存在しなくても復活させることができるゲームもたぶん珍しくありません。いや、珍しいかも。まぁ D&D では可能なので、少なくともひとつは存在します。しかし、これらもいずれも「死者ではない誰かが死者に対して適切な処置を行うこと」が前提であることは我々のリアルワールドの延長線上であるともいえます。死者が自らの意思で再生することは―― Wish 的な超越的手段を用いなければ――まず不可能です。
 CRPG(コンピュータ RPG)においては「ゲームの都合」からずいぶんと緩和される傾向はあります。ウィザードリィの場合は TRPG と同様の制約があります。死体か、死体の灰でもあれば再生させることは可能ですが、全滅したパーティーを救うためには「死者ではない誰かが」その死体を回収するために迷宮にもぐらなければなりません。ドラゴンクエストでは一気に軽くなり、死んでも(全滅しても)たかだか所持金が半減する程度でセーブポイントに戻ることができるようになりました。これは RO とよく似た異様さではありますが、ドラクエの主役はその世界の中で存在からして特別な「勇者」あるいはそれに順ずる特定の極少数の特例であるということで世界観から遊離することのエクスキューズとして受け容れることは可能なのではないかと思います。その他の多くのゲーム(オレは PC Gamer なのでコンシュマーゲーの主流はよくわかりませんが)においては、ウィザードリィの自動セーブシステムのような厳しさこそないものの、ドラクエよりは現実的な、「セーブしたところからやり直し」が一般的であると思います。かれらは「死んだ場所から遠くはなれたどこかで、多少のペナルティと引き換えに蘇ることはできない」のです。
 ネットゲームにおいては、「セーブしたところからやり直し」は周囲の世界の時間が流れている以上は不可能です。初めて RO に触れる(RO はオレの最初のネットゲームです)まで、オレは、それゆえに、「ネトゲの世界では死んだらどうなってしまうのだろう」とずいぶんと疑問に思っていたものでした。死後、多少のペナルティ程度で遠く離れた故郷なりホームなりセーブ地点なりに戻れるドラクエ的なシステムは「世界観を絶望的にへち壊す」のではないか、と、そう思っていたのです。となると、死んだら死体はそこに転がったままで、誰か復活させてくれる人がくるまでそこから動けないのだろうか。とすれば、ICQ なりその他のメッセンジャーなりで知人に連絡を取って(ゲーム内で長長距離会話が可能であることも知らなかったように思います)回収部隊を送ってくれと要請してあとはひたすら待つのかなぁ、とか、そんなことを思っていたわけです。
 事実、そういう意味では世界観はへち壊れておりました。
 まぁでも、実際のところ「ゲームの都合」を考えればこのあたりで妥協せざるを得ないところだというのはわかりますので、それについて不満なり疑問なりを吐くことはしなかったわけですが……。
 そうした疑問が今さら息を吹き返すようなストーリーなわけですよ、この The Sign のセリンの物語は。
 かくも冒険者があふれている世界で、冒険者だから特別な存在であるというようなドラクエ的エクスキューズが通用するかどうかは微妙なところですが、これだけ多くの Sign 持ち PC が存在しているにもかかわらず誰もが「たったひとりのこのクエストを歩む者」として扱われるクエストの構成(MMORPG の多くに共通する説明のつけようがないオヤクソク)上それはまぁ目をつぶるとしても、セリンがもともと普通の一般人だったというのであればともかく、「優れたウィザード」であったという設定はこれと明らかに矛盾します。我々は日々、死んだり生き返ったりしています。では、何故セリンはそうすることができなかったのか? 何故彼女は「最後にセーブした場所に戻」らなかったのか?
 冒険者(勇者)が特例であるから死んでも自力で復活できたりする、というのはなかなかもにょもにょする思考ではありますが、ゲームの都合を思えばまぁ許容範囲内ではあるでしょう。ですが、なればこそ、そうしたゲームで誰かの生と死を(まして死からの復活を)主題あるいは重要な構成要素とするシナリオを組むのであれば、そのシナリオで重要な位置を占める死者は「死から自力で復活できる冒険者の同列存在であってはならない」のです。というかファンタジー TRPG をやる人間なら誰もが一度は通る道だよな、シナリオ上重要な死者を何故復活させてはいけないのか、何故、虫の息で最期に重要な情報を中途半端に残して死んでゆこうとする NPC を治癒呪文で治してはいけないのか、という議論は。最近じゃ「空気嫁」見たいなヌルい云い方が横行してるっぽい気もしますが、最終的にそこに落着するにしても、一度はそういう部分はガチでぶつかりあっておくべきな気がするんだけどなぁ。いやまぁそれは今回の話題からはズレますが。
 然るに、魔女の言葉などからすると、セリンは「優れたウィザード」です。それが何故、ラストセーブポイントに戻ることもできず、誰かに蘇らせてもらうこともできなかったのか?
 それが許されないような途方もない罪を生前に彼女が犯していたとか、そういうあれですか? 知られている限りどれほどの悪人であっても決してそういう形で罰せられたことのないこの RO 界において?
 ふだんの死は単なる戦闘不能であって死亡ではないという考え方も有り得ません。我々は日々「死んで」ニフルハイムに行き、そこからテレポ一枚なり蝶羽一枚なりで帰還しているのですから。(そこでさらに死んでセーブポイントに戻ることすら可能です)
 我々は、日々、ふつうに NPC 商店で売っている青ジェムひとつで死者を蘇らせ、死亡時の(復活時のではなく)経験値ペナルティだけでラストセーブポイントに帰還しています*1。この世界での(冒険者の)命というのは、そのぐらいに容易に取り戻し得るものです。にもかかわらず、たったそれだけのコストを支払うことが、冥界ニフルハイムにおける絶対的な権限をもってしても一度の行使では為し得ず、その程度でしかない「一度の権限行使」ていどで我々がまずどうやっても為し得ないようなダークロードの召喚はできてしまうというのも異様な話です。
 ちょっと余談ですが、The Sign はセリンの野望を見逃すと失敗に終わるそうです。そうしてどこかで誰かが「失敗」を犯すたびに、ルーンミドガツのどこかにダークロードが(クエスト中で語られたところによれば現在カタコンに時間湧きしているのとは段違いにパワフルなものらしいです)出現するとかだったらそれはそれで面白かったんじゃないかと思いますがどうか。なんか物語中じゃいろいろとダークロードはヤバいだなんだと云われてましたが、ヤツが絶望的な方向音痴であることはよく知られており、たぶん出現したところで大して実害はないような気もするし。
 とまぁ……この物語はこのようにこの世界観に対するけっこう重大な疑問を惹起するものであったわけですが、しかし、こういうのは、ある程度盛り上がることは約束された類型ではあるわけで。
 泣ける話ではありました。
 「大地を踏みしめる足が欲しかったのだ……!*2」じゃないですが、ああいうのはなぁ。
 類型である分だけ新鮮さを欠く物語ではあるんですが、今回は(ってかオレの初めての The Sign クエストですが)ME プリでやったこともあり、そこらへんに起因する感慨も多々。
 「ニブルヘイムに留まり、死という名の空気を吸収し、絶望という名の食物を食べて暮らし続けたくないのです」と語るセリンに、当初は助力し、最後にその野望を阻止する役割を担う我々 ME プリは、「できることならニブルヘイムに留まり、それが叶わぬならばせめてニブルヘイムにポタメモを書き、死の空気を呼吸し、とめどなく湧いてくる絶望の化身を焼いて稼ぎ続けたい」と願う者たちなわけですよ。なんとも皮肉な話ではないかね。日々ニフルハイムに通い、その地でいくとどなく斃れ、その地で稼ぎ続ける我々には、「死後ヴァルハラに至る約束」などという、そんな我々にしてみればまるで魅力のない報酬が与えられ、そこから出ようとするセリンにはそれが決して許されぬ、というのは。
 平野耕太が描いたヴァチカン十三課の狂信者たちは、その信仰のゆえに、地獄の悪魔と戦うために地獄に征こうとする者たちとして描かれます。信仰ゆえに、天国に至ることを臨まぬ者たち。云わば我ら ME プリはルーンミドガツにおけるその同類です。我々は善にして善の神の忠実な使徒であるまさにそれ故に、天国に至ることをではなく地獄を希求する者たちです。と云い切るのもどうかと思いますが、そんな我々が、その地獄から立ち去るために世界をすら売り渡そうとする彼女に、いったい何を与えられるというのか。
 「お互い、なかなか思うようにはいかないものだな」ぐらいのコトしか云えないんじゃないんですかねぇ。
 疑問を解決する仮定がひとつないわけではありません。
 我々、ルーンミドガツの世界で生きたり死んだりしている我々もまた、すでに「動く死者の一形態」に過ぎないのではないか、というのが。
 そうしてみると、セリンの野望を阻止したあとのヴァルキリーの言葉は示唆的です。「神は、貴方の意志と勇気を見守り、結果、ヴァルハラへ入ることを許されました。(中略)貴方が、ミッドガルドを去る日、The Signにより、ヴァルハラへ入ることができるでしょう。」
 ヴァルキリーは、「貴方がミッドガルドを去る日」と云い、死という言葉を使いません。それは、我々が日々死んだり生き返ったりしていることと矛盾を感じさせないための、製作者側の虚しい努力なのかもしれませんが、我々がすでに死者であるのだとすれば、最初の文において、「死後(後日)ヴァルハラへ入ることを約束されました」というような云い方ではなく、現在すでにヴァルハラへ至ることが許されているという云い方になっていることと辻褄が合います。そうして見ると、中略した部分は、「お前は今ヴァルハラに行くことができるが今はまだお前には役目があるから今ヴァルハラへ連れ帰ることはしない」的な云い方がされているようにも見えます。
 ニフルハイムのこのクエストに関わる NPC たちは、死という言葉を多用し、一部の者は生に強く執着しているにもかかわらず、PC たちを生者であるとはっきりと口にしていないようです(見落としがあるかもしれません) セリンの次の台詞はとくに象徴的です。
 「彼は、あなたのような別の場所から来た人の事を謡います」
 彼女は我々を「別の場所から来た人」と云い、「命ある者」を直接的に指す言葉を使いません。
 ヴァルキリーはクエストがニフルハイム編に入る前に、こう語ります。
 「彼らが皆、あの御方に選ばれ、祝福を受けながら生きたくとも……
 重々しく立ちはだかる死を無視し、祝福だけを受けることはできないのです。
 自らを隠し生きる者の場所を訪れなさい。
 彼らは、自分達に成せなかった夢に向かって歩んでいる貴方を見て、妬み怨むでしょう」
 ここで語られる「自らを隠し生きる者の場所」はその先の展開を見るにニフルハイムでしょう。彼女は「祝福を受けながら生きたくとも」という云い方で我々が生者であると宣言しているようにも見えますが、同様にニフルハイムの死者たちをもまた「生きる者」と呼んでいます。
 これらは、この仮定に関する興味深い考察を与えます。
 しかし、我々もまた死者すなわちセリンと同列の存在であるとするならば(セリンが「優れたウィザード」である以上、そうである(同列である)ほうが自然なのです)セリンの野望に直面した我々に与えられた選択肢は無情です。そうであるならば、我々は容易にセリンの望みの、少なくとも一部分を叶えてやることができたはずなのです。青ジェムひとつを投じてワープポータルを出してやるという、たったそれだけのことで。
 ……まぁ、こんだけ長々と感想とか書いてしまったってことがすでに雄弁に語ってますが、結論としては、こいつはがんばった甲斐のあるクエストだったと云えると思います。サンゴ収集や最下層のミッション、DI 撃破などで皆様には多大な御助力をいただきました。皆様に感謝します。おかげで、興味深い物語を歩くことができました。
 っていうか、やっぱりこの世界観、けっこう面白いぞ? なんかインダストリアルネイションなシュヴァルツバルト関連の物語はイマイチ熱さが足らん感じはしますが、ルーンミドガツを主舞台にしたストーリーの断片はいずれもいろいろと裏に面白そうなネタが埋まってそうなカンジが。
 文中のログはえたなるさまを参考にしました。いや、実は自分でも作ろうと思ってまして、クエストの全ログを SS 撮ってたりするんですが(一部撮り漏らしがあるのが無念ながら)すでにあるんだったらやる必要なかったなぁ。おかげで SS フォルダの中身が物凄い数になってるんですけど! そんなことやってたおかげで、DI 戦とか妙に待たせてしまって、手伝ってくれた民には申し訳ないことをしました。スマン。

*1 マビノギでは、あくまでデスペナは「復活時に」支払うコストです。たとえば RO でも、死亡時に「蝶の羽」をひとつ消費することでセーブポイントに復帰とかなら、「ゲームの都合」の影は多少薄まり、多少は説明がつくような気もします。

*2 「ヤマトよ永遠に」でのアルフォン少尉の台詞。あれを観た頃は子供だったので考えつかなかったんだけど、今にして思うと、シリーズのメインヒロインとただならぬ仲になってしまうほぼ唯一の脇役であるアルフォン少尉が「全身義体」であり、生身の人間(まぁ異星人だけど)ではないというのは意味深ではありますな。しかしただならぬ仲になりながらそれに気づきもしないヒロインもそれはそれでスゲェというか、暗黒星団帝国のサイボーグ技術がスゲェのか? どっちにしてもスゲェ。
2006/05/19 (Fri)
■ Comment
恐ろしいコトに、マビノギでは冒険者が死ぬことはないらしい。
羽出して転がっているのは、実は死体じゃなかったんだよ!
メインストリームでそんな話が出てくるらしい。
2006/05/22(Mon) 15:14 * URL * matt #EBUSheBA[編集]
 いやまぁ、あれはそもそも導入からして PC たちはエリンの住人じゃないアウトサイダーなわけで、NPC は NPC でトシも取らない健忘症のイモータルなわけで、そのあたりの「いないよ……ここには人間なんていないよッ!!」な設定が最初っからあるのであんまし気にならんのだがね。
2006/05/23(Tue) 21:29 * URL * DRR #/7QgdNBM[編集]
でもなぁ、お前ら全員死ぬことのない不死身超人1000万パワーズ全開だっぜぇ! とか、本に書かれてるというのは、ショックやね。
2006/05/24(Wed) 04:31 * URL * matt #EBUSheBA[編集]
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