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   深度 、急速潜行~
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▼つまりあれだ。
 「ドラゴンスレイヤー VI 英雄伝説」がベストってことで。
 ……ボス戦の BGM がザコ戦と同じってのが唯一の弱点ですが。

戦闘成長サイクルの快適さその他
 こちらを見てちょっと考えが形になったような気がしたのでダラダラ書いてみます。
 ええと、戦闘成長サイクルによるレベルアップと、それによるキャラクターの強まり、という基本フォーマットは否定しないものとしての話です。戦闘成長サイクル自体については指輪世界その他で大いに議論されており、今さらオレごときが(まして戦闘成長サイクルに肯定的な立場であるわけだし)踏み込む余地はなさそうっつーことでひとつ。(とりあえず、CRPGでの最適化と確認あたりを見とけばよさそうかなぁ)
 さて。普通に遊んでれば普通にレベルが上がって、強まったら強まったで歯ごたえのあるハードルが出てきて、それを普通にやっつけようとしたりやっつけたりしてるとまた普通にレベルが上がって以下繰り返し、という構造は、思想的にはとても易きに流れているとオレには思えます。このテのゲームが(戦闘成長サイクル部分に関して)楽しくなるかならないかは要するにレベルと経験値のテーブル(と与えられる経験値)のつくりの上手さ下手さだけにかかっています。PC の性能は各レベルアップにおいて乱数が入ったりステ振り(能力値成長の配分)やスキル振り(特殊能力の取得、選択)にプレイヤーが手を出せないようになってるか、あるいはその影響が薄くなっていることが前提です。このテーブルを組み間違えると、「普通にザコの相手しながら進んでただけなのにキャラが育ちすぎてラスボスが楽勝になっちゃってゲンナリ」とかいうことになったりします。
 で、このゲンナリに陥らないための最も安易な解決策が、「経験値テーブルの傾きをキツくする」あるいは「レベルが上がると弱敵で経験値が入らないようにする」です。この二つは要するに同じことを形をかえてやってるだけです。前者は、たとえばレベル 1 からレベル 2 になるには 10 点の経験値が必要、3 にするには 100、4 にするには 1000、みたいな勢いで急激に必要経験値を増やすことで、えんえんとザコを狩り続けてレベルを上げるという選択肢を忌避させ、後者は……よりタイトにえんえんとザコを狩り続けてレベルを上げることを不可能にします。
 以上のような構造を持つ安易な戦闘成長サイクル型 CRPG はストーリーの組み方しだいでは確かに面白くなるのですが、そうなると今度はストーリーだけでいいじゃん、戦闘成長サイクルいらないじゃん、ということになります。そっちの方向性は置いといて、戦闘成長サイクル自体の面白みを本命としてこのテのゲームデザインをした場合にどうなるかというとだ。
 ものすごい「一本道感」と「やらされ感」が生じるんですわ。一部のオレみたいなプレイヤーには。
 ゲームを進めること自体が義務。単純作業の稼ぎプレイのほうがよほど自分の自由意志が働いていると感じられる、という事態に。
 というような感覚は、えんえんと TRPG を遊んでることと無縁ではないかもしれません。3.5 版(3 版にもあったかな?)の DMG には、「あつらえた遭遇」と「ただそこにある遭遇」について語られてます。ネット上で近い印象のあるテキストとしては、ネットの海に眠っているビホルダー氏の遺産のApril. 5, 2000 あたりかなぁ? 要するに、「ゲームとしてのハードルクリアが楽しくなるようにバランシングされた遭遇ばかりが続くとそこにゲームマスター(コンピューターゲームならゲームデザイナー)の恣意が透けて見えてしまって萎える」とか、そういう感覚です。何で自分がえんえんと TRPG を遊んでることが関与してると思うかというと、プレイヤーとしては実はそういうコトをあんまし感じたことはなかったんですが、自分がマスターとしてシナリオを書く経験が長くなると、「自分が書いてるシナリオが「面白くしよう」という意図が前面に出すぎて白けるモノになってるんじゃないか」という恐怖を感じるようになった、とかそういう事情なわけですが、そんな具合で当初は自分が書くシナリオについて意識するだけだったことを、今ではコンピューターゲームを受け手として遊ぶ際にも感じるようになってしまった、ということで。
 この感覚を緩和するためかどうか知りませんが、戦闘成長サイクル型の CRPG(ってかドラクエだな、主に)では、ある程度ゲームが進んでから勇者の故郷に戻るミッションが生じて、以前苦労したモンスが「勝負にならないぐらい」の弱さになっていることを実感させたり、逆に「決して勝てない戦闘」が仕込まれてたりします。
 もうひとつの、この「そのレベルのプレイヤーキャラクターに応じたハードルを次々に準備する戦闘成長サイクル型 RPG」の弱点は、ステ振りやスキル振り、職(クラス、戦士や僧侶といった役割、そういうもの)の選択などの「遊び」の余地を奪う思想である、という点です。この点をデザイン側が管理することで、はじめて常に歯ごたえのあるハードルを越えさせるという状態を維持できるのです。
 つまり、常に歯ごたえのあるハードルを越えさせるタイプの戦闘成長サイクルゲームで成長の方向性に自由度を与えた場合、「間違った振り方をすると再起不能になるため、「正しい振り方」が非常に重要視され」るようなことになります。そうならないデザインの可能性としては、第一に、「完全に正しいわけではないぐらいの正しさのステ振りを基準にしてバランスを取る」というテが考えられますが、これは完全に正しいステ振りをしてしまった場合にヌルすぎになるのでダメです。ステ振りにたいした意味がないというデザインもゲンナリです。第二には、「PC の実際の強さに応じてハードルを調整する」というのがありますが、これこそ「義務でやらされてる感」を最も強める選択です。
 逆に、経験値テーブルの傾きが比較的緩やかで、ハズレの育て方をしてもちょっと格下の敵を狩り続ければとりあえず挽回可能というゲームデザインをした場合には、「待ってれば、あんま考えずに遊んでれば、ゲームデザインが勝手に持ってきてくれる楽しさ」は薄くなりがちですが、そのかわり、キャラの成長指針やら育成手段(格下を狩り続けて時間をかけて育てるか、ガツンと背伸びして稼ぐか、後日ガツンといくために初期は格下を狩ってガマンするか、今ガツンと育てて後日地道な日々を覚悟するか、などなど)の自由度が大幅に増します。
 キャラクターの成長速度と成長パターンをデザイナー側が管理して適切なハードルを次々に配置するタイプのゲームシステムは「次から次へと命じられる作業を行うだけの単調なゲーム。ただし作業自体は歯応えがあってやりがいがある」デザインであり、キャラクターの成長速度と成長パターンをプレイヤーが自分で考えるタイプのゲームシステムは「たくさんの選択肢が用意された中から、こなす作業を自由に選べる自由なゲーム。ただし作業はどれも単調になりがち」といったところでしょうか。
 どっちが好きかは、もう、個人の好みとしか云いようがないでしょう。
 っていうか、「どっちでもいいからデキがイイ方」というのが一番正直なところじゃないかと思いますが。
 オレはなんだかずいぶん前に前者に食傷してしまったので、今は後者を好む嗜好になってるようです。(というか、前者のようなゲームであればいっそ戦闘成長サイクルは捨ててストーリーだけ遊ばせろ、というか。ああ、ストーリーは重要だけどムービーはいらんぞ)
 RO は云うまでもないことですが、後者に属するゲームです。
 実際に珍ステ、廃ノビ、廃一次、趣味職、といった生き物が相当数実在していることが、後者のシステムとして(少なくともある程度)成功していることの証です。
 ……他のゲームを知らないので、たとえば FF でどうか、とかはわかりませんけど。あと UO の話は禁止にしといてくれ。だいたいあれ戦闘成長サイクルじゃねぇべ?
 与えられた面白さは、一度通過すれば以上です。
 ただ眺めただけでは面白さの在処がわからないゲームがどれだけ面白くなるかはプレイヤーのセンス次第です。
 これに関しては、「さっさと一通り遊び尽くさせろ。んで次のゲームやらせろ」というのはまったくもって正しい見方だと思います。ウィザードリィしかなかった時代と違って、今はゲームは積むほどあるわけですし。
 ただまぁ、「ネットゲームとして遊ぶなら」オレは「さっさと次に行く」という気分にはなりません。なる人とはたぶんコミュニティに対する感覚が違います。(ゲームデザインに対する感覚が、というよりも)
 RO の謎は、オレにとっては「ただ眺めただけでは面白さの在処がわからないゲームで、どれだけ面白くなるかはプレイヤーのセンス次第」寄りのゲームであるにも関わらず、単純にレベルや財産といったゲーム内ステータス(地位)を求めて、正解のステ振りと職選択、スキル振りで最短距離を邁進するプレイヤーがたくさんいて、どうもそいつらがそれを面白いと思ってるらしいという点です。(あるいは、でした。このあたり、「一度完走しないと門前払いである転生という要素」が入ったあたりから議論がややこしくなるんですが、今回は言及しない方向性で)
 後者、すなわち、「たくさんの選択肢が用意された中から、こなす作業を自由に選べる自由なゲーム。ただし作業はどれも単調になりがち」として、RO がどれだけ成功しているかについてはまた評価が難しいところです。オレとしては、概ね、「一次職、二次職ともに転職直後からジョブ 35 あたりまで」は戦闘成長サイクルゲーとして成立していると感じます。だいたいこの範囲では、どんな職、どんな型を選んでも戦闘成長サイクルを面白く遊べます。この範囲をはずれると作業感が大幅に増したりしますが。とくにベース 80 台後半あたりからは(とくにパーティーなら)概ねどこへでも行けるようになるため、「たくさんの選択肢が用意されている」という自由度がどんどん減ってく印象があります。ゲフェニアがテレポ可能だったら、まさに痒いところに手が届いたと思うんだけどなぁ。
 RO に関するもうひとつの謎は、オレにとっては、上述したように「成長途上が楽しい戦闘成長サイクルゲー」であるにもかかわらず、「レベル 90 超えなきゃ面白さがわからん」的なことを口走るプレイヤーがたくさんいるということです。ちょっと前までは「レベル 90 なんかになっちまったらもうやるコトないじゃん。てか 80 あたりから先は余生?」とかかなり本気で思ってましたし。最近意見が変わりつつあるのは、INT>AGI ME プリ(趣味型の比較的珍ステです。同鯖の同狩場に同時間帯で他に存在してるのを見たためしがありません)が強くなってもぜんぜんつまんなくならないからなわけですが、まぁそのへんは今日のところは置いときます。
 RO そのものについての、世間的な評価に対する違和感は後日また気が向いたらまとめます、ということで、今日のところはこのへんで。
 TRPG については、このあたりの、「ちょうど歯応えのある遭遇ばかりをあつらえる」ことに対する忌避感を、今のところは比較的感じずに遊べているルールが DnD 3rd です。とくに最近は使用可能なルールの範囲を広げ、パーティーとしてのクラス構成とかをあんま気にせずにやりたいモンをやる、という方針の周り持ちキャンペーンを遊んでいるので、同じ有効キャラクターレベルの PC が揃っても相当に戦力として予測がつかないパーティーでの冒険になり、マスターが「DMG で妥当とされている難易度の遭遇」ばっかりを並べても、あまり「あつらえられた」ように感じずに済んでいるのではないかと思います。
 んがまぁ、TRPG 界の傾向はどうも、たとえば「全部あつらえてボス戦は演出と、データをいじってでもちょうどいいハードルにしてやって盛り上げる」という方向が主流っぽいような気もするわけで、うううむ。
 いや、そういう方向性は必ずしも嫌いじゃないっていうか、「ボス戦だけは」ある程度そういうふうに「あつらえ」たりもしますけど。
 んで、今は TRPG における戦闘成長サイクルの最大の意義は「マスターが恣意的に PC の成長速度をコントロールしないための、マスターに対する縛り」だなぁとかそんなコトまで思ってたりする*わけですが。(その結果ミッション経験値などの志向をやたらと忌避したりも)
 ……我ながらちょっと病的っちゃ病的ですな、マスター/デザイナーの恣意性(を感じてしまうこと/感じさせてしまうこと/感じさせたと感じてしまうこと)に対するこの拒否反応は。

*最初っからある程度のレベルで開始することを忌避するものではありません。念のため。

放蕩様でルーンバウンドが高評価な模様。
2005/12/12 (Mon)
051211 * Top * 051214
■ Comment
何でこの話題がRecklessDrivinから始まるのか分からん。
またRecklessDrivinから始まる時点でこの話題が無意味に感じる。
つーか、たかがゲームで小難しく考えすぎ~。
考えるだけメンドクセー。



RecklessDrivinがからんでると思っただけで口をはさみたくなるのも困りもんだがなぁぁぁ。
2005/12/13(Tue) 18:58 * URL * matt #EBUSheBA[編集]
 んー、だから書いたとおり、考えがちょっとまとまるきっかけだったのじゃよ。
 あと、考えるのは考えるのが楽しいからであって、メンドクセーとかはないのですよ、楽しくてやってるコトなんでw
 んまぁそなかじ。
 ってかあんたも病的だなw
2005/12/13(Tue) 22:00 * URL * DRR #/7QgdNBM[編集]
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