深度 、急速潜行~
[日々のいとまに]140501 ~誰が?~
こんなツイートが、RT で、流れてきまして。
 ちょっと感心しちまったぜ。そういうふうに受け取る人もいるんだなぁ、と。
 いや、もちろん文脈とかいろいろあるんだろうけどさ。
 まず、初見で違和感がすげぇあって。で、ちょっとだけ考えてみて。
 これ、すなわち、「君に居て良いなんて言われなくても、居るんだよ」という先生の発言が、「君に」を含まない「居て良いなんて言われなくても、居るんだよ」であったら、あるいは、云い手をもっと広く取って、「誰に」なり「誰かに」なりであったならば、オレも実際そう受け取っただろうと思うんだけどねぇ。でも、ここに、「君に」をわざわざ入れる意図に、すげぇひっかかってしまったんだな、と。「他の誰かである場合は、その限りではない」という意図を込めていなければ、わざわざ「君に」と断りを入れないんじゃないかなぁ? とか、そんなような。うん、オレがおかしいんだろうってことは重々承知ですが。ただ、オレがこの先生の側だったら、おそらく同じように云ってしまってから、「しまった、「君に」は入れるべきではなかったな……」と反省するだろうなぁ、とか、そういうアレはあるわけではあります。
 んじゃあ、「君」以外の「誰」だったら、どうなの? となると、これがまた気になってくるというか、そもそもどういう話の流れで、この「子」は「マイノリティの人も居て良いと思います」などと「云わなければならない」立場になったのか、という疑問が湧いてくるわけです。先生に「居てもいいと思うか、それとも否か」と問われて答えたのがこの言葉だとしたら、それを、わざわざそうとしか答えようのない質問を投げておいて、そう答えたら「バッサリ切」る先生はけっこうなクソ野郎じゃえねぇか? そうではなく、しかもこの「子」がわざわざ挙手して「居て良いと思います」と発言しなければならない、と感じたとしたら、それは、そもそも、場の話の流れが「居てはならない」という方向になってて、そこにこれは一石を投じないとならんな、という義務感に駆られたから、ってのがオレには最も想像しやすい展開です。で、もしそうだとしたら、先生の言はまた全然違う意味を持って聞こえてくるわけです。「君に居て良いなんて言われなくても、居るんだよ」「だから、君に、いや、君や私を含む我々に、居て良いと言われなくても、あいつらは居てしまう。その現実を受け止め、対策なり何なり考えていかなければ!」と、そういう意図を込めた言葉として、出てきたのだったのではないか……?
 あるいは、「君に居て良いなんて言われなくても、居るんだよ」「でも、ほかの誰かは、その言によって、マイノリティの人が居て良いか悪いかを決める権限を持っているかもしれない」という意図だったとしても、それはそれで興味深いものがあります。「君はそれを決められる誰かになれ。たとえほかの誰か、力を持った人が「悪い」と云っていたとしても」とか? あるいは、「だが、たとえばここがナチスの支配するドイツの大学だったして、私がナチ党員だったとしても、君はそれを云えるのか?」という言論と表現の自由と覚悟についての話題につなげていくための布石だったら?
 ……などなど、いちいち要らん方向に連想の翼を羽ばたかせてしまうオレはやっぱり病んでいるというか、「だから、「君に」と入れるべきではなかったと云っているんだ!」とか云いたくなった次第。以上!
 ……っつーか、この「子」にしても、「誰かが「居て悪い」などと云うべきではないと思います」ぐらいの気持ちで云ったら「君」が、という話にされてしまった、という感じなんじゃないかなぁ……。
2014/05/01 (Thu)
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