深度 、急速潜行~
[Life as a Half Drow]ソードワールド、あるいは山本弘の功績
▼アリアンロッドのあとがきには、「世代を超えて TRPG の共通語たりえるシステムを作ろう」的なことが、本気かハッタリかはわかりませんが、書かれてました。
 いや、そりゃムリだろう、と正直思ったわけですが、連想したのはソードワールド(以下 SW)のことで。
 まぁ、わたしは SW にゃあ不満もあれば恨みもあるし、決して少なくない TRPGer が同様だと思うけど、実際、あれは「世代を超えた TRPG の共通語」として機能し得てるんじゃないですかねぇ。最悪不満の云い合いになったとしても、少なくとも SW の話題は(現在のもっとも若い世代よりも過去の世代ならば世代を通して)話題として成立するわけです。
 で、DnDer であるわたしは、本来はそういう「スタンダードシステム」となるべきは(クラシックの)DnD だったのに……! DnD のはずだったのに! なぁんて思うわけですが、その地位を SW が持ってったのはまぁ考えてみりゃ(悔しいが)当然の展開ですよ。SW を作った SNE はそもそも DnD の国内仕掛け人だったわけで、DnD が箱だし高いしやたら複雑だし手に入れづらいし訳は豪快だしでこりゃちょっとスタンダードに仕上げるのは難しそうだぞ? ってんで、これらの「難点」を全部まとめて裏返したのが SW だったんじゃないかにゃー。スタンダードなルール(少なくとも当時は)である DnD を明らかにベースにして作られた SW(具体的な例としては、たとえば呪文レベルの配置なんかは DnD ママイキです。上級に入るとまた変わりますが)がスタンダードなのは当然で、そこに安価さ、入手の容易さ(6 面オンリーというのも含めて)が加わればこれがスタンダードとして受け容れられるのは後から考えてみりゃあ実に自然な成り行きだったんじゃないでしょうか。
 で、その後 DnD サードが実に SW の進化形的なシステムに仕上がってることを考えると、SW はそんなに間違った道を歩いたわけでも、たぶん本当は、ないんだろうなぁ、とも思うわけですがまぁこれは「DnD が SW に似てる」という意見に賛同者があまりいそうもないので置いといて。
 SW は当初、山本弘(初代「戦闘になると喜んで剣を振り回す女エルフ」ディードリット*1)がマスターをつとめるリプレイとして世に出ました。あの頃は実にあれに期待していた。バードの歌はやたら使いでがありそうだし、シャーマンの使うスネアという聞きなれない呪文(他が聞きなれているがゆえに目立つ)もなんだか楽しそうだ。
 実際に遊んでみてまぁいろいろ不満が生まれたりもするわけですが、それは今回は本題じゃねぇので割愛。
 ルール発売後、ルール発売前から続いてたリプレイの中で、山本弘は一発、今に至るまで論争の種にされるアレをやらかします。これ、山本弘+SW の二大功績そのいちだとわたしは思います。
 アレ、すなわちモンスターの人権問題、ファリス信者を「圧制なす狭量なる正義の徒」として描いた例のアレ。
 やべぇ、と思ったね。ある種の敗北感とでもいいますか。わたしが考える程度のことは、本職が考えてても何の不思議もないよな、そりゃあ……みたいな。
 SW にアライメント(サードの訳語では属性、クラシックの訳語では性格)のルールは存在しませんが、SW 登場以前のスタンダードルールだった DnD においては、三種類の「アライメント」が選択可能でした。すなわち、「ローフル、ニュートラル、カオティック」 これらは、ほぼ一対一対応で「正義、中立、邪悪」であると、当時の DnD では解説されていました。(ほぼ、であって完全にではありません。イーヴル(エビル)の概念はカオティックとは別のものとされてはいました)
 その後、たしかコンプティークのクロちゃんの記事で「ADnD(アドヴァンスト DnD)では性格は九種類、すなわちローフル―ニュートラル―ケイオティックの軸からひとつ、グッド―ニュートラル―イーヴルの軸からひとつを選んで組み合わせた 3x3 の九種類が存在する(これは現行のサードにも受け継がれています)」というのを読んで、わたしは(エホバというのが誤った読み方であることを知った帆場みたいに)狂喜したものでした。
 そうとも。秩序を重んじることが常に正しく、混沌に走ることが常に邪悪であるなどということがあってたまるものか。
 この、古い「秩序―混沌」を「善―悪」と重ねる思想は DnD に限ったことではなく、たとえばファイティングファンタジーにおいても「無秩序界の軍勢」などのような言葉で同様の思想が表現されておりました。もとをただせばこれらの下敷きになった「指輪物語」にそういう思想があるのかなぁ? そのへんは「指輪」未読のためなんとも云えませんが。
 例のモンスター人権問題のシナリオが作られるにあたり、ADnD のアライメントシステムを意識してたかどうかはわからんっていうか、いくらわたしでもこれらを結びつけようなどと無茶なことは考えませんが、あれは確かに歴史的な出来事であったことよ、と主張しておきたい次第。*2
 では、二大功績のそのには何だと思ってるかといいますと。
 「サーラの冒険」でヒロインがファラリスのプリーストになって主役に回復呪文を行使するシーン。
 よくやった。
 もうこの頃はそれなりにトシも食ってたので、一発目みたいな「敗北感」を感じたりはしませんでしたが。
 あのさ、ファラリスの教義って「汝の欲するところを為せ」でしょ?
 それを邪悪と安直にストレートに結びつけ、「この信仰は PC には向かないだろう」とか云い切ってしまうのって、ものすごく「秩序―混沌=善―悪」な前時代的な見方だよね?
 わたしには、この思想、ファラリスを悪神とみなす(のが少なくともフォーセリア的に主流である)的な思想が大嫌いでした。いや、今も嫌いだけど。
 汝の欲するところを為せ、と云われて悪事に走る人は、そりゃ、いるかもしれん。でもそれが多数派だとはわたしには思えない。
 わたしは誰かを傷つけたい、誰かを殺したいと思ったことがほとんどない。でも、できることならいつだって誰かを助けたい、誰かを救いたいと思ってる。わたしはべつに自分が善人だとも聖人君子だとも思ってないですし、そう主張するつもりもありません。わたしが誰も嫌いにならないわけじゃない。誰も憎まないわけじゃない。ただ、そういう相手をやっつけるよりも、できれば立ち去って遠くで幸せになっていただきたい、あるいはこちらがさっさと逃走したいと思ってるだけです。べつに、やっつけることが良心に反するとかリスクが大きいからとかじゃなく、単純に「そうしたいと思わない」んです。わたしは以前、こういうのとは全然違う話題で議論めいた雑談をしてたときに「物凄い平和主義者」と評されたことがありますが、実際そうなのかもしれません。でも、わたしは自分がとても感情としてストレートにそう思うので、そういうふうに、同じように感じる人が少ないとは思えないんですが……少ないんでしょうか。
 「本質が愛を示すか」とつぶやくとき、フライデーの声には意外さが滲んでました。でもさぁ、それってそんなにレアなことかなぁ。そうは思わないんだがなぁ。ぜんぜん普通のことじゃない?
 こちらの例は、明らかに「ケイオティック、混沌、当時の基準ではおおむね邪悪と置換可能」の神として設定されていたファラリスを純粋な「混沌」の神として定義し直そうという意図をもって描かれたと考えて間違いないと思います。
 わたしは ADnD を知らないのですが、その後、SW が手にし、もてあまし気味になっていたスタンダードの地位を受け継ぐべく日本上陸を果たした(←主観です。噛みつかないように) DnD サードにおいては、もはや「混沌」それ自体に「悪」の影はまったくありません。
 素晴らしいことです。
 ただまぁ、まだ浸透しているとは云い難いのがツラいところではありますが。
 秩序と善、混沌と邪悪がはっきり別軸として定義されたことは、逆に、秩序と善のロールプレイにも面白さを与えるだろう、とも、わたしは思います。
 現在の日本 DnD 界におけるおそらくはパラディンの第一人者であられるハイランス卿の記事などから入門してみるとよろしいのではないかと。
 えーと、なんだっけ、功績だっけ? 書き終えてみてあんまし「功績」の話をした気がしないんですが、まぁ、とりあえずタイトルを変更したりはせずにアップしてみます。
 今さらこんなコト考えたのは、たぶん、最近行くようになった本屋で「サーラの冒険」の続きが出たって広告を見たせいかも。買わなきゃな。
 え? アリアンロッドの話はしないのか、って?
 いや、あれからは SW や BRP*3 からひしひしと感じる、「スタンダードなものを作ろう」という情熱も、ガープスみたいな「これで全部まかなっちゃる」的な気合も感じないんだよなぁ。スタンダードになろうと思ってるようにも見えないし。せいぜい、「知名度とお手軽感でデファクトスタンダードの地位をかっさらってやれ」程度というか。
 たとえばわたしは SW については憎悪と怨恨は根深いし、同時に今回書いたようにその志をは評価しないわけにはいかん、といったふうに語りだしたら二時間語れる意見を持ってるし、好きな人は云うに及ばず、わたしよりも徹底的に嫌ってる人でも、何故嫌いか、どこがいかんかということについてそれぞれに一家言持ってると思うんですが、AR についてはたぶん、愛好者以外はそこまで語る言葉を持たないだろうなっていうか正直語るほどの何物もないという印象なわけで。
 ん? 上級読めばまた違う、って?
 SW は基本ルールだけだったとしても同じように語れましたよ、きっと。

*1 このディードリットの自己紹介文は正直自信がないです。んが、確かこんなようなことを云ってたハズ。世の中じゃディードリットの中の人が山本弘だったことに不快な衝撃を受ける人が多いようですが、わたしはあとになって知ってとても納得したものでした。なるほど、さもありなん。水野良ではディードリットの魅力は描けん、と。
「わたしたちには竜の翼はありませんが、二本の足がありますから」
 リプレイ最終回にこのセリフを吐いたのは確か彼女だったと思うのですが、スレインだったような気も。どっちだっけか? なおこの最終回でディードリットはブルードラゴンにファイアボールを放っています。わたしが彼女に憧れたのは、DnD における魔法戦士クラスとしてのエルフとしての活躍が素晴らしかったから(当時の、というかごく最近を除けば、わたしの DnD プレイ時のエルフ使用率はやたら高いです)であり、以降の「水と風と大地のエージェント」として描かれた水野良版のディードリットを肯定する言葉をわたしは持ちません。

*2 時代的には同じぐらいの時代に日本訳が出版された「ドラゴンランス伝説」においては、純粋なる秩序と善の体現者であったイスタルが、まさにそうであったが故に大変動という「神罰」的な天変地異を招いたという物語が語られており、これも重要な歴史的事件だったといえるのかも。もっとも、「戦記」においてもスタームとソラムニア騎士団の描かれ方には「秩序と善」に対する問題提起は色濃く感じられるわけではありますが。

*3 BRP=ベーシック・ロールプレイング、だっけか? 名前の通り汎用の効くベースシステムを作ろうとしたっぽいという程度に認識してます。このシステムを使う TRPG ルールの代表はルーンクエストとクトゥルフの呼び声。
2005/08/17 (Wed)
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あんまりTRPG詳しくないんですけどね
2005/08/18(木) 10:23:49 * 忘却界抄
忘却界抄さんが烏賊学研究所・二号館さんのエントリ、ソードワールド、あるいは山本弘の功績にTBされていた アリオッチ!アリオッチ!に対するTB用のエントリです。 俺の乏しい知識のなかで分かることを補足させてください。
2005/08/20(土) 02:07:37 * ゴネるだけ損!
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