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   深度 、急速潜行~
▼なんか例の事件がらみでメイドゲーに関してアレやコレや見る気がしなくもないのですが、昨今のメイドものに関する個人的な違和感をちらりと書いてみます。とてもテキトーですのでテキトーに流してくれ。
 えーと、エロゲーにメイドが登場すること自体は昔っから珍しくなかった(……よね?)わけですが、後にメイドゲーと呼ばれるカテゴリが確立された際の元祖(の少なくとも一角を占める)と考えられているのが「殻の中の小鳥」でした。で、オレはこのゲームが好きなんですが。
 このゲームは、後の「メイドもの」というカテゴリの嚆矢であったにもかかわらず、他のメイドものとはある一点で決定的に異なっております。つまり、このゲームの主人公は「御主人様」ではないのです。これは単にそう呼ばれないというだけのことではありません。主人公は舞台となる屋敷でメイドを育成せよと命じられた雇われ職人に過ぎないのです。後に出た関連商品内では主人公フォスターが「御主人様」と呼ばれているものもありますが、原作のゲームではメイドたちは常に「フォスター様」と主人公のことを呼びます。キャラによっては「様」すらつきません。
 ゲーム開始時に主人公フォスターは過去の弱みを握られたためにドレッド・バートン(たしか鉄道王と呼ばれてる資産家)の屋敷に呼び出されます。そこには、すでに二名のメイド、ミュハとメーアがいます。この二名は後にフォスターが育ててゆく 5 人のメイドとは制服からして違う別格扱いのメイドです。で、ドレッド・バートンの娘、クレア・バートンを「一人前のメイドに育て上げよ」という指令を受けるのです。その後、町でこれぞと思った娘っ子の弱みにつけこんだり、意気投合したり、その他いろいろの経緯で 4 人の娘っ子を屋敷に連れてきてクレアを含む 5 人までのメイドを育成することになる(べつに全員集める必要はないけどね)わけですが、登場人物たちの力関係は以上の図式から基本的に外れることがありません。つまり、御主人様はドレッド・バートンであり、ドレッドに直属するふたりのメイド、ミュハとメーアはフォスターと少なくとも同格であり、ゲーム中の描写ではむしろ格上ですらあるかのように描かれています。クレアは後世代メイドの一員でありフォスターの下として扱われますが、これはドレッドの思惑によってそうなっているだけという部分があり、屋敷の「御嬢様」でもあります(そう描写される場面はありませんが)
 エロゲーのエロゲーたる所以の場面(調教)においては、主人公とこれらメイドたち(ミュハ、メーアを含む)の関係は極めて非対称*であり、主人公が上に立つ形で描かれるわけですが、これは要するにお互いに職責を果たしているだけです。
 しかしながら、このお互いの職責を果たすにすぎない調教行為において、後発メイド 5 名はそれぞれフォスターに直接的な愛情を抱くようになり、実質的には(中間管理職にすぎない)フォスターに対して直接的な忠誠心を持つようになります。そして、その愛情と忠誠心を利用してフォスターはこれらのメイドを、ドレッドが客人を「接待」する席に送り込むのです。つまり、メイド隊と御主人様の間に直接的な関係が(純肉体的にすら)ほとんど存在しない、これは、ゲームなのです。
 雇われ職人の主人公とメイド隊のあいだに芽生える愛情は、一応年長の先任者と後輩ではあるし、調教場面においてこそその関係は極めて非対称ではありますが、使用人同士の愛であり、メイドと主人という「メイドもの」の文脈からはかけはなれたものです。ミュハとメーアは主人公と直接的な恋愛関係になることはありません。そして、5 人のメイドそれぞれに用意されたエンディングにおいて、関係の非対称な部分も逆転したりリセットされたりします。
 メイド―御主人様の軸においては、固定された主従関係、立場の上下が確実に存在することが前提になっている、というのが、メイドものに関する多くの言及において前提となっています。(実際には、メイド側が最後に逆転の一手を打ってきて終わるようなストーリーが多いんじゃないかと想像しますが実例挙げられるほど知りません) が、メイドゲーの嚆矢たる「殻」においては、上述したような立場の流動性と多面性がそのストーリーの魅力の少なからぬ部分を占めていると、オレは、主張してみたいわけですが、どうでしょうか。

 整理しよう。オレは「殻」のファンですが、メイドものの嚆矢であるコレのファンでありながらメイドものというジャンルについては非常に距離を感じます。オレは御主人様じゃねぇ! オレを御主人様と呼ぶな!
 で、それはオレだけか? オタっていうのは、もうちっとこう、「オレ様主人、お前メイド」的なマッチョイズムからは遠い民族なんじゃあるまいか? (それが、上の方で、「最後に逆転の一手を打ってきてフラットになってめでたしめでたし」が多いのではないかと想像する根拠です。自分が遊んだ範囲では、「殻」以前ですが、「禁断の血族」は最後にメイドと対称な恋愛関係になるゲームでしたし、「DPS-SG」では……あーあの「ホラーおたく」テスはかなり魂に食い込んできたキャラなのでここでは深入りせずにおく方針で)
 だとしたら、「オレ様主人、お前メイド」的なマッチョイズムを受け容れやすいメンタリティを持つ非オタの人々がオタに対して抱くイメージ「オタは「オレ様主人、お前メイド」的なのを求めてしまうところまではオレら非オタにも想像可能だが、そこで現実と虚構の境界線を見極められないところがオタなんだよなぁ」は間違ってるんではあるまいか?

 とすると。
 もしかすると、例のヤツが求めていたのは、最後に(司法に訴えるなどという形ではなく己自身の持つ何らかのパワーで)メイドと主人の関係性をぶっこわして逆転してしまうような娘っ子であったのではないか?

 とてもテキトーな連想でした。
 オタイズムとマッチョイズムについては更科修一郎氏による CPG の連載を読んで考えるようになったコトですが、氏の議論はオレがここで書いたようなことではなかったと思います。

* この非対称性は単体で二時間喋れるネタな気がしますが、今回は深入りせずにおきます。S と M の S って、一面では Serve の S なんじゃないのか? Serve の S は Servant の S だよなぁ。とすると M は Master ? みたいなのも含む。
2005/05/18 (Wed)
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