深度 、急速潜行~
[日々のいとまに]090527 ~Requiescat in Pace~
▼かつて私は、それまでに出てるすべての彼女の本(まぁ、実質的には、文庫になってるものに限って、だが)を買って読もうと思って、行ける範囲の本屋に片端から足を運んでは、買いあさり、読みあさったものだった。
 そうやって、手に入るような本はだいたい手に入れ終えてからは、新刊に気づいたら新刊を買って読む、という形に落ち着いていたものだったが。
 私はまだまだ当面は向こう側に行くつもりはない。が、もちろん、いつかは行くことになる。そうしたら、今度は向こう側でまた、片っ端から買いあさって読みあさることになるのだろう。それまでに彼女は、いったいどれだけの量を向こう側で発表し終えていることだろう。
 本当は彼女の言葉で送りたかった書き手としては、私は彼女に私淑し、彼女の言葉の綴り方から、自分の言葉の綴り方を学んだ――正しく学べたかどうか、充分に学べたかどうかはかなり覚束ないが――つもりだ。しかし、今、ふさわしい言葉が思いつかない。理由はだいたい想像がつく。私が彼女から学んだ――学ぼうとした――のは言葉の「綴り方」であって、綴るべき「言葉」ではなかった。普通にやれば語るのに十行かかることを一行で語りつくすタイプの書き手では、彼女は、なかった。普通にやれば十行も使えば語った気になるであろうことを、百行かけて語りつくさねば気がすまないタイプの書き手だった。彼女は「それについて学んだことのある者ならば誰でも知っているが、学んだことのない者はまず知らない語彙を使って十行を一行に集約して語りつくす」ことを、あまり(私の印象としては決して)しない書き手だった。そうするかわりに、彼女は、「百行を費やしてでも、そのフィールドに一度もいたことがない者でもまずわからないということがないであろう語彙だけを使って語りつくす」ことに尽力してきた、ように、私は思う。とくに最近になるにつれて顕著で、それゆえに、やたらと行数が費やされる印象が強かったのではないか。むろん、そうではない一面もあったのだろう。その表現のひとつとして「歌」を書いてもいたのだろうと想像する。そちらについては、私はあまり接していないので、あまり語れることがないのだが。
 ――そちらに接していれば、送るべき短い言葉を思いつくこともできたのだろうか。
 最近触れた誰かの言葉から、今の私の想いに近い言葉をひとつ。私の心の叫びをひとつ。そして最後に、こちら側の、私と思いを同じく「しない」人々に向けて一言。
 「Take a good journey」
 私がそちら側に行くのがいつになるかはわかりませんが、それなりに長くこちら側にいられるのだとしたら、きっと、そちら側で私が手に取る最初の未読巻の末尾の既刊リストには「豹頭王の花嫁」が載ってると信じております。頼むぜ。結局それが最終巻じゃなくったって、きっと誰も文句は云わないから!
 そして、民へ。何社がやるかは知らんけど、もし「追悼フェア」が行われたら、古い方から優先的に、金が足りる限り全部買え! 絶対だ!
2009/05/27 (Wed)
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