深度 、急速潜行~
[Life as a Half Drow]PT 内での立ち位置 TRPG 編
▼イエヤッフー! スレッドテーマ維持するぜ! と云った舌の根も乾かぬうちから二日も放置してましたが無事だった! 同志諸君に感謝!
 で、まぁ、保守はいいけどたいしたネタもないので、先日、MMORPG での PT 内における立ち位置に関して言及したときに頂いたコメントへのレスを兼ねて TRPG の場合の PT における役割の嗜好についてちらりと。
 MMORPG では、わたしの場合、明らかに、
 Heal / Buff / Debuff > Tank >> Attack
 という嗜好順位があるみたいです。で、TRPG では、
 Debuff > Buff / Tank >>>Attack / Heal
 ってなカンジで。
 もっとも、このアタマにさらに「Info」という要素が優先しそうな気がしますが。
 Heal は、リアルタイム性の強いネトゲにおいては、状況判断と行動の密度が非常に高くなる瞬間があって燃えるわけですが、TRPG においては、そうした緊迫した瞬間ほど熟考することになったりして逆に遊んでる自分の勢いが失われてく印象がある、ということなのかなぁ、と自己分析。
 TRPG では、自分の HP の残量と後衛範囲火力の邪魔にならないことを意識しながら戦線を構築し、敵に対して挑発/降伏勧告/ガンダム的戦闘会話などを仕掛けるといった「テーブルトークならでは」の「遊び」ができる Tank には、ネトゲなどにおけるそれとは一線を画した楽しさがある、といったところでしょうか。
 Buff については、Healer 業に最優先に回すべきリソース(魔力やキャスティングの時間)をうまく振り分けて殲滅時間の短縮や将来的に Heal 分のリソースが節約できるように持ってくといったバランス取りの判断がネトゲでは面白いわけですが、TRPG ではリアル時間のリソースをそれほどタイトに意識しなくてすむ点と、「最初のラウンドにこれ、次にコレ、次にコレをキャスト」と宣言しとけば済んでしまい得るという点で操作の楽しみという点で劣るのでちょっち優先順位が落ちるといったところでしょうか。
 Debuff は、ネトゲでは単に戦闘の一要素にすぎませんが、TRPG においては Debuff のぶつけ合いはプレイヤーとマスターの丁々発止「ぎゃあーそうきたかー! じゃこっちはこれじゃ!」「ギャー!」ってな展開を形成しやすくて燃えます。
 さて、両方において最下位であるところの Attack ですが、これがなぁ。
 ネトゲの話をちらっと。ネトゲにおける対人、PK といった要素は絶望的にリアリティを欠くため、おおむね嫌いです。それ自体を目的としているならともかく、生活観がどうこうというゲームにおいてはリアリティのカケラもありません。何故ならば、現実において殺人行為のもつ意味は対象すなわち敵を永遠に消去し復仇の機会を失わしめることにある(そして殺されることの最大の恐怖もまたそこにある。確実に亡霊となって復讐戦を挑めるのなら殺されることの恐怖は半減だろう)わけですが、ゲームにおいて殺人行為のもたらす結果はこの真逆であるからです。殺すことは単に敵を作る行為です。殺したがる側にとっては恨み買うのは上等ですが、殺したがらない側にとっては、「お前もやり返して殺せばいいじゃんか」なんて言葉は寝言にしか聞こえません。「殺したってまた同じキャラで殺しに来るんじゃ殺す意味ねーじゃんか」
 というのは、モブ狩りゲーにおいて Attacker になりたいと思わない理由に直結はしませんが、近い場所にあるんじゃないかという気はします。対象を消滅せしめることができないのであれば、その Attack 行為はその世界の中でいかなる意味を持ち得るのだろうか?
 さらに勇み足。現実の戦争は、常に、どんなものであれ、例外なく、何らかの意味で「終わらせて平和を到来せしめる」ことを目的としていますが、ゲームでの戦争は戦争それ自体が目的です。戦争ゲームであればそれは喜んでその一員をプレイしますが、そのプレイされているキャラクター的には「戦争を終わらせて平和を到来せしめる」ことを目的としているはずです。それゆえ(ネトゲの)RPG という、より感情移入度の深くなりがちなゲームにおいては、わたしは戦争をやりたいとあまり思えません。上述の死と再生の話にも通じますが、明確な勝利条件があってそれを達成する(=戦争を終結させて平和を到来せしめる)ことが可能な目的なのでなければ、わたしがプレイヤーをやっているキャラクターがなんで「終わらない戦争」などという行為に加担しなければならんのか? 殺した相手が永遠に消滅しないのであれば、望ましいのは、相手が死んで復活地点に戻ることではなく、生きたまま敵兵力の大半が遊兵となっている間に敵の本陣を叩いて戦争を終結せしめることではないのか?
 暴走しすぎました。まぁ、不老不死の神々が退屈しのぎに戦争を演じるというモチーフは古今東西の多くの創作に登場するわけで、「平和のための戦争」ではない戦争を戦う欲求というのも有り得るのかもしれませんが、それは戦争ゲームとしてやってくれ。RPG の守備範囲じゃねぇだろ、と。
 あと、せめてやるなら勝利条件の達成により毎回決着がつく戦争を繰り返してくれ。RO の攻城戦が嫌いなのは、あれが何かを達成したことによって決着がつく戦争ではなく時間切れによって決着がつく戦争だからです。スポーツとかでもそうですが、わたしは時間切れで決着をつけるゲームよりどちらかが勝利条件を満たすことにより決着をつけるゲームのほうがずっと好きです。サッカーやバスケットボールがいまいち好きになれず、テニスやバレーボールが好きなのはそういった理由です。両方の要素を併せ持つ野球というのはある意味究極かもしれませんが、プロ野球のつまんなさを見ると、野球は究極を目指しつつもまだ究極ではないのかなぁと思わざるを得ません。
 勢いでネトゲの話をえんえんとしてしまいましたが、TRPG では、こうした要素はいずれも現実に近いといえましょう。PC は多くの場合殺しても復活しますが、TRPG の有限の時間リソースを前提にすれば、復活にかかるコストは充分にペナルティとして機能し得ます。むろん全滅させればまず復活はありません。敵 NPC については、多くの場合勝利時は全滅状態に至らしめているはず(逃亡した敵はいるにせよ殺した NPC の死体を回収されることはまずない)なので、復活を阻止する手段はいくらでも講じられます。死体のカケラもないところから死者を復活させるほどのパワーが相手にあって、かつ、それを使用してくるということになればそれはそれでひとつの大きなドラマ性になります。TRPG では殺す価値は充分にあるはずです。
 なのに、わたしが TPRG のプレイヤーとして Attacker をやりたいと思えないのは、たぶんマスターとしてさんざんこれをこなしてるからだと思います。一度や二度、攻撃のダイスを振ることについては、わたしはもはや何の感慨も感じない、というわけです。
2005/05/09 (Mon)
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