深度 、急速潜行~
[日々のいとまに]090213 ~Op. ローズダスト(中)~
▼「Op. ローズダスト」中巻読了。
 朋希の「……友達だから」に撃沈。
 いやまぁしかし、その直後ぐらいで「フムン、となると、中巻ラストは「朋希、死ぬつもりだっただろ。今降りちゃだめだ。俺たちはまだ目ェつぶっちゃいねぇ」あたりまでかね」とか思ってたらまさしくでありました。
 以下、ネタバレのため水面下。
 ここからネタバレ水面下。
 いやまぁ、実際パトレイバー 2 から 15 年ですよ。あの頃とまるで同じ危機感が今も変わらず通用する、この素晴らしき我々の不正義の平和の磐石さよ。次の 15 年も、その次の 15 年も、そのさらに次の 15 年も、同じようにこの平和が続くことをこそ望むのが正解なんじゃまいか。
 とかそんな気分になるわけですがしかし、これ、いったいどうやって終わらせるんじゃろ。明日には下巻に到達しますが、なかなか興味深いな。
 たとえば P2 などにおいては、煽り屋の側の速度に国民がついてこれないことによって、波風は立ちつつも決定的な転換には至らないであろう的ラストに落ち着かせていたし、えーと、過去の福井作品においても概ねそんな方向性だったと思うんですが(いや、でもけっこうこのへん印象に自信ないんですけど)今回は一気に極端に振れてしまってるんだよな、現状。これをもう一度振り戻して現状復帰させて着地するとしたら、相当気合の入ったデモンストレーションが行われる必要がありそうな気がするような……。
 中巻後半において、「愚かな人間などいない。在るのは愚かな集団だけだ」的に、誰もかれもが充分誠実に動いていながら、集団としては多くの個人(すべてその集団の構成者)を踏み潰しながら明後日の方角に突進するという、それ自体はまぁ見慣れた景色ではあるわけですが、ここで云う集団が「国民」そのものであるという絶望感っつーかだな。
 まぁしかし、とりあえずジェシカ・エドワーズ女史も色褪せないよな、ってなことも思ったりもしたりも。ぬぬ。
 さて、以下は個人的なアレですが、既死ヒロイン(って、死亡時描写がなされるまで、オレは「こいつぜってー生きてる。そのために顔を破壊したんだろう。まさかマル六!? い、いや、いくら顔が出てないとはいっても、さすがにそれは歳が合わんし……」とか思ってたわけですが)が云った「撃たれるまでは決して撃たない。撃たれて、まだ生きてたら、死力を尽くして逆襲する」的な専守防衛思想みたいなモノってのは、オレ、子供の頃そういうふうに思ってたんだよな。Tit for Tat も知らなかった頃。まぁ小学校の読書の授業(なんてものがあったのだなぁ)で坂井三郎の著作やら八路軍相手にえんえんと苦労する話やらを読んだり、他にもまぁ、ずいぶんと先の大戦の話はさんざん読んだりしたわけですが、(もちろん、はだしのゲンも。でもこれは図書室唯一(だったと思う)のマンガで競争率が高かった)そんな中で流れ着いた思考。そのためには、じゃあ、先に一発殴られた後でも充分に有効なしっぺ返しが可能な武器が必要なわけで、そりゃ核でしょう、と、そう思っておりました。(なお、上述のヒロインは核武装には言及してません) んがしかし、その後な……911 あたりから、考えは変わりまして。まぁ、その頃まで気づかないあたりヌルいんですが、これって、「相手が先に殴った状態」を意図的に作り出そうとする行動に対して物凄く弱いんだよねぇ。そして、過去の多くの戦争は「相手が先に殴ったことにして」行われており、また、その中のある程度の割合は、おそらく「相手に先に手を出すことを強要あるいは強く誘導して」あるいは「相手に扮した味方による相手の先制攻撃の自演を行うことによって」なされている、というのは、ホントにそうかどうかは(少なくとも、ひとりの支配者が集団の行動を決定していた時代よりも後の時代においては)誰にも決して検証できないことではありますが、まぁ、概ね誰もが信じていることです。個々の事例については意見は分かれるでしょうが、統計的にそういう事例が少なからずあったであろう、という点についてはたぶん。まぁ、このヒロインは諜報分野にも片足の爪先ぐらいは踏み込んでるキャラクターであり、そのあたりのリスクは対応する覚悟を考えてはいるってことなのでしょうが。もうひとつの問題点は、「核を撃ち込むべき敵地が存在しない」場合で、これはまさにテロ戦争(「対テロ戦争」ではなく、「テロによる戦争」て感じ?)の時代においては大量破壊兵器は有効性が低く、敵に利用される可能性を考えるとむしろリスクのほうが大きい、という認識でありました。オレがよくわからないのは、何故 911 以降になって日本核武装論なんてものが広く出回るようになったのかということなんだよな。「それ以前だったら」オレはとても納得し、あるいは支持もしたかもと思うんですが、何故、それ以降になって? もはや意味ない、というか、「日本が持つのは、これまでであればともかく、これからはたぶん差し引きすると割に合わない」時期になってから?
 殴らないやり方に対しては、こちらも殴らずに対応するしかない。というか、挑発にまともに乗ってはならない。すなわち、「あくまでも、戦争行為ではなく、犯罪行為として」警察的な力によって対応する、というのは、オレにとっては納得できる覚悟なんですが、えーと……。
 まぁ、こんくらいにしとくか。まだまだ全然浅いしヌルいんだろうということはわかるわ。
 しかし、一巧がやったことがまさに、ヒロインの云う「専守防衛」の、上述のような(たぶんわかってなかったのはオレぐらいヌルいヤツだけだろと思われる第一の)弱点を突く一撃だってのは、ぐらぐら危うい朋希に対してパーフェクト超人として描かれてる一巧の、なんともやりきれん悲劇だよなぁ。
 以下は脈絡ない感想。
 アパ、じゃねぇ、アクトの社長の気持ち悪さも物凄いです。いやまぁ、わざわざ云うほどの感想でもないですが、オレの脳内でまず全速力で「アパ」になってたことをちょっとメモっておくっつーことで。
 しかしなんだな、より荒唐無稽寄りであるはずのアニメーションというメディアで描かれた P2 があれだけ「レイバーの存在以外のあらゆる部分において」地に足を着けた描写をし、展開にしても煽り屋の速度にまったく追随しない大衆というどっしり感を堅持したのに対し、小説という、より「大人の」メディアであるはずの形態で描かれるこの作品が、これほど、ダイスをはじめとした地面から足が離れたテクスチャを大量に搭載してるって対比はなかなか面白いというか、ぬぬぬぬってなモンですな。いやまぁ、ダイスのようなものは実は存在してるんじゃねぇの? ってのはまぁ、アリかもという感じかもというようなアレですが、福井作品をそれなりに追っかけてて、総合(合計)すると、「ひとりやふたりや十人や二十人は実在し得る可能性を否定できないにしても、こんなに「山ほど」いるってことはいくらなんでもありえねぇ!」って感じになりますがな。んが……うーむ、より荒唐無稽に見えるテクスチャを大量投入することで、「これはフィクションですよフィクションなんですよー!」という「イイワケ」を大声で叫びつつ、主張の強さにオブラートをかけているようにも見える――見せているようにも見える――ような気も。まぁ、このへんはあまり深入りせんでおこうというか、書かずにおこう。
2009/02/13 (Fri)
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