深度 、急速潜行~
▼福岡伸一「できそこないの男たち」読了。
 いやー、相変わらず面白いですなっ。つーか上手い。とくに、「もういない科学者」の生活をありありと描き出す(って要するに作ってるんじゃねぇのかっつー話もありますが)技法とか素晴らしいです。燃える。ってか、場合によっては、萌える、と申し上げてもよろしいかもしれん。
 そして、いくつかの部分で自分の想像力の限界を思い知らされて愕然。それぞれの事実やエピソードは「あたし、みんな知っていたな」ってなとこなんですが、結びつけ方がすげぇ。
 たとえば、オレが「子供はどうやってできるの?」ってな問いの答えを知ったのは、えーと、たしか小学校の中学年から高学年にかけてだったかなぁ。病院の待合室にあった絵本で知った(ってことを鮮明に覚えてるってのは、それだけ印象が強かったってことでしょう)のでした。あ、実践については踏み込んでいない本ですぜ。子供向けの絵本だしねー。
 オレには妹がいて、ちょっと年が離れていて、ということは母親のお腹が大きくなってゆくという景色をかなりの範囲で記憶しているわけです。で、子供心には思っていたわけさ。「母親から子供が生まれるのは当然として、父親はいったいどういう役割を果たすんだ?」ってなようなことを。その原始的な感覚が最初にあって、次に病院の待合室で精子と卵子についてとてもざっくりとしたことを学んで、その後でえーと実践についての知識を得て、というような順番で、それについては知識を広げてきたわけです。んまぁ、そういうふうに段階を踏んで染みついてきた感覚というのはなかなか覆らないものだなぁというか。
 それとは別に、ファンタジアンとしては「精子の中にホムンクルスを見た」というエピソードも知ってはいました。もちろん。
 でも、そこから、「母胎は所詮器にすぎない。精子はすでに完全な人間の原型であり、器に入れれば育つ。まさに畑に種を蒔くが如し」という形の男尊女卑論は導けなかったぜ。というか、そういう議論を導こうなどと誰かが考え得るとは、まったく想像もしなかったぜ。上述したような経緯で「どうやって子供ができるのか」を学んだ身では。
 恐れ入りました。
 うーむ、なるほどなぁ。
 しかし当時は「混血」つまり「父親と母親の両方の要素が子供には入っていることを明確に示す存在」については考慮されてなかったってことなんかね? どうもいまいちオレはまだ誤解してる気がする。
 偉大なる羊鍋大帝陛下についての言及も非常に面白かったです。ってかまぁ、これまたそれはそれとして知ってたエピソードではありますが、天皇家についての言及と並べるとまたヘンなことが連想されます。源義経=チンギス・ハーン説というあれだ。あのさ、判官贔屓的な義経ファンって、義経が後に大オルド王になるとかそういうのアリなんですか? そうだったら嬉しいのか? オレはありえんと思う(というのは歴史的にありえないことは云うまでもないのであって、「そういう願望を持つ」ということ自体がありえんと思うっつーことです、ぬるい義経ファンとしては)のだがなぁ。いや、大オルド王を否定するわけじゃないですが、義経とはキャラクターの魅力の方向性が違いすぎるんじゃまいか。フィクションの作り方としては、陸奥の鬼姫ひとすじ、とかそういう方向性のほうが向いてると思うんだけどなー。
 そして、天皇家についても、こうして並べるとなんか妙な気分になります。万世一系の Y 染色体がキモ! というアレをたとえば肯定するとしてだ。天皇家だって、羊鍋大帝陛下とは比較にならないにせよ、それなりにオルド……っつーか、Y 染色体は(少なくとも日本国内には)けっこう広まってるであろうと容易に想像されるわけで、本気でそれ貫きたいんだとしたら、天皇家と、国内の全男性の Y を全長読んで、Y が一致する男連れてきて女帝と番わせればオッケーなんじゃねぇの? っつーことになるだろ、常識的に考えて。んまぁ、天皇家も今や人間なので人権がありますから、そんな非人道的なことはありえん(とはいえ、夫候補について読んでおくというのはまぁ可能っちゃ可能っぺれぇ?)でしょうけど。(しかし、この本とはまるで関係ない(ってここまでもあんま関係ねぇな)話ですが、もし天皇が神だったとしたら、グリーンピースとかは「神にも人権を!」とかそういう人間以外のものに人権を与えようという活動をしただろうか)
 ……とまぁ、いろいろとムダにイマジネーションが拡がる感じもあり、とても楽しかったデス。
 小ネタとしては、導入の「科学の共通語」のエピソードは(初めて読んだのはいつぞやの日経の夕刊でしたが)むちゃくちゃカッケェなぁ、と感動した、とかそんなのも。
 だがしかし。
 どうもひかっかる本でもあるんだよなぁ。
 たとえば、この本、とても男尊女卑的な思想を帯びてるようにオレには見えるんだが、オレがズレてるんだろうか。

▼つーかですね!
 英語にはひとつ致命的な問題がありまして!!
 敬称に性別つけんのやめろボケ! 性別の区別がある敬称もあってもいいけど、ない敬称のほうを基本にしやがれ!
 呼びかけるときはいいさ。もし面と向かって性別を間違えたとしたら、たぶん間違えられたほうの責任だ。
 でも、手紙出すとき困るんですってば!
 日本語なら「様」で済むのに。
 でなきゃ、たとえばうちの業界なら誰が相手でも適当に「先生」って書いときゃまぁ誰も気にしませんわ。
 カミーユが男の名前でなんで悪いんだ!! 俺は男だよ!!(←意味不明)
2008/11/13 (Thu)
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